俺がDJを始めた経緯を書いてみた。


 

俺の家はそこまで裕福では無かったので俺も弟も長期休みにはかならず従兄の家でバイトしていた。
従兄の家だから割も良く、おじさんがくるとバイト代1日2万の他に、小遣いもらって3万位もらえるようなボロいバイトだった。

それを俺は洋服に、弟はレコードにつぎ込んでいた。
HPにも記載しているとおり、この時期、93年から96年あたりというのはレコードバブルでJodyWatleyのFriendsが5000円とかしてたし、ZhaneのHey Mr DJが8000円なんて時代だった。今じゃどっちも100円から1000円前後だろう。

とにかく、買わせてやるというお店ばっかりで、嫌なら他行けよというスタイルが当たり前だった時期だった。
俺もどこのお店で買ってるの?と店員に聞かれたので、ブンクーンレコードとかで買っていると話をしたら、お前はもう来るなといきなり言われて驚いたことがあった。

そんな時代だったけど、俺の弟も他の友人達と一緒に一生懸命DJをやっていた。
イベントも中学生の頃からクラブでやっていたし、未だに衝撃過ぎて記憶しているのだが、その中学生が集まってやっていたイベントは、

出身地繋がりでDJをしていく

というキツガイレベルのイベントだった。
もちろん、ブートや再発、LP、コンピなんて恥ずかしくてかけられない時代だったし、この時期の日本は旧譜しか流行っていなかったので新譜もかけてなかった。
出演したDJ全員が、オリジナルで旧譜でレア盤だと言われているものだけをつないでいた。

記憶上、このイベントを超えるイベントには行ったことがない。
そんなことをやっていた中学生も高校生になると、女の子に目が行き始めるので、レコードを買うペースが落ちてきてだんだんとDJも辞めていった。

俺の弟は最後までやっていたので、俺が大学に入ってイベントをやろうという話が合ったときに俺はオーガナイザーという立ち位置を利用して、当時まだ高校生だった弟を入れた。

それが第1回目のイベントで、渋谷の老舗クラブFamilyがまだ箱貸しをしてくれていた時期だった。
箱貸しというのは、文字通り、スペースだけを貸してくれるもので、酒やバーテンはこちらで用意して、スーペース代として確か記憶だと6万位だったような覚えがあるのだが、6万払えば5時間位つかってもいいよみたいなものだった。

なので、入場料と酒の売り上げが俺らの儲けになる。
俺たちは、パー券と呼ばれる素晴らしいシステムを利用して、500枚くらい売った。

1枚1000円で2ドリンク付きだった記憶がある。
バカ売れして、儲けがまるまる30万以上あったのだが、それでもNOVAという男が5万円だか10万円だかをパクって俺らはこの1回だけでイベントが終わった。

NOVAは当時町田周辺でRAPをしていて今ではもう有名になってしまったDJさんの名前を語ってラジオとかにも出ていたという話を後に聞いたが、中目黒に住んでいた和久井の誕生日に再会したけど、やっぱりクソなヤツだったのを覚えている。

キライな人間と仲がいい人間は結局、そのキライな人間と同類になるという仮説がまたしても証明されてような気分だったな。

まぁ、ともかく、そんなわけで、最初のパーティーは成功したものの、次はもう無くなってしまったわけです。

それでも、たった5時間位で30万も上がりが出たので俺らは別の奴らと新しいグループを立ち上げることにしたわけだ。

今度は人選に気を使ってとりあえず、金に汚くない、信用できる人間を選んだ。
金に汚くない人間は良くも悪くも目立たないことが多いので、アンテナになるには弱いので集客力は無かったが、それは最初の時点で話合っていたし、儲けるよりも楽しめればいいじゃないという、今思えば、今のスタンスと同じやり方だったな。

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