俺がDJを始めた経緯を書いてみた。


金で嫌な思いをするのは嫌だったので、思い返せばなんと青い少年だったのだろう。
DTの考えそうな話だが、まぁ、大学生活がツマラナイままよりはマシだと思って、サークル活動を開始した。

このサークルが初めてイベントをやる時に、DJが足りないという話になった。
俺の知り合いは少なくDJをやっている人は数人しかいなかった。

俺の弟の友達もこの時期にはほとんど辞めていたような覚えがあるし、大学1年目で上京したての18歳でDJできるメンバーはおろか、HipHopというものを知っている人やクラブに行ったことがある人はかなり少なかった。

それは俺が理系だったからなのかもしれないが、当時の理系大学生は、勉強しないと入れないということもあって、村で一番頭がイイという人が来ていたような感じだった。笑

だもんで、ワイシャツの上にスエットを来て、メガネをかけて下はジーパンでそうだな~、お菓子のカールのカールおじさんにワイシャツの襟が出ているかんじ?

オシャレだと言われていた人が、ビビアンとか着ていたような感覚だったんだが、伝わらないかもしれないな。笑

とにかく、典型的な理系のオタクが集まっていたわけだ。
そんなところに、遊ぶためだけに大学入って来た人間がDJをやっているハズもなかった。

今じゃ誰でもできるし、全く違う感じなんだろうね。
この前来た高校生が、言っていたが、今では文高理低という言葉通り、文系人気なんだとか。

そんなわけで、DJが足りなくなってこまったことから、DJを始めることになった。

この時、弟と大喧嘩になった。
この時期、OldSchool回帰ということでNYのDJの多くはMixTapeにOldSchoolを沢山入れていた。

それはMuroさんのDiggin' Iceの影響もあったと言われているが、70年代のSoulが流行ってそこから、RAPのOldSchoolが人気だった。

で、俺もI'm Not Playin'とか今でも大好きなんだが、YouTUbeには無かったので、ロトレコのページを張っておくが、こういう曲ばっかりコレクションしたかったんだよね。

Ultimate Force / I'm Not Plain'

弟はRAPDJだったので、レア盤は鬼持っていた。
高校生2年で3000枚持ってたし、Life's a b*tchを2枚使いしてたり、Da B*tchesとかも2枚使いしていたこともあって、俺がRAPを買うことに大反対。

今考えれば当然なのだが、それでも話合を続け、俺はOldSchoolを買うと言っても無理だった。
そもそも、俺がこういうあたり以外で欲しかった、逃げのエリアは、Rapper's Delightとかだったんだよ。

そういうPartyRAPのOldSchoolを集めるということで話し合いは落ち着こうとしていたのだが、ダンクラを買わないとこのあたりいけないことが発覚し、ダンクラは手打ちだからMixするのが難しく、初心者には向いていないことを指摘され、最初は、ある程度DJができるまでは、R&Bでやっていくことになった。

今のダンクラやっているDJさんの多くもカットインばっかりだから、よくよく考えればダンクラの方が気楽だったかもしれないけどな。当時は情報もなかったので諦めたよ。

高校時代にSlowJamばっかり聞いていたので甘い曲でもかけるかと思い、それがかえって大人な印象を俺につけさせた。

R&Bとはなんとオトナなのだろうか!

DTにありがちな思想だよな。
早くオトナになりたかった俺は、SlowJamをゆっくりと夜中に聞くことが好きだったので、R&Bという妥協案を受け入れた。

そんなわけで最初のイベントまで1か月しかなかったので、すぐにレコ屋でNew Jack Swingとかを買いだした。笑

ここで大失敗しているんだよな~。
なぜ、NJSなのか今でも謎。

恐らく、ご機嫌な曲=NJSだったのだろうね。
初心者だから仕方がない。

で、1か月である程度DJできるようになった。
2時間位でピッチが合わせられるようになっていたのだが、問題は小節だった。

サビが終わって2番からMixし出したり、本当に今思い出しても恥ずかしいとしか思えないような発想でDJ練習をしていたのだが、これに輪をかけて俺の弟が厳しい男で、たまに家にいて俺がやっているとハイダメー全然ダメー、とにかくダメーみたいなダメだしをしてくる。

心が折れそうになったよ。

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