夏ですね~。
ええ・・・。
ああ、夏ですねぇ。
そんな昨日は、LotmanのMixをベタ褒めしてもらえて、凄くうれしかったです。
一喜一憂してるヤツはダサいって言われるけど、残り少ない人生、うれしかったことを一つひとつ噛みしめていきたいよ、俺は。
だからね、自家製サングリアを飲んで軽酔いの俺は語ってしまおうと思うんだ。
他人の評価はイマイチでもShe So Cute!ってミスチルも言ってたじゃないか。
それと同じように、R&Bやレコードにも似たような価値観がある。
例えば、マニアにしかわからない価値観だが、「来た盤が自分の盤」ってヤツ。
汚い盤、汚れた盤、綺麗な盤、マーキングがある盤、先輩からもらった盤・・・。
いろんなレコードが世界中を旅して自分のところにくる。
これって、本当に凄いことだよね。
俺はこれを奇跡ってよんでもいいんじゃないかなと思うんだ。
同時に、自分のところに来た盤だからこそ、自分の盤になると思うわけです。
新品だから、綺麗な盤だから、コレクションにふさわしいとかふさわしくないとか思う人もいるし、確かに、資産価値ベースで言えば本当にその通りなんだけど、その曲や買うタイミング、その曲や盤との思い出の共有こそが、俺は価値があると思っているので、どんな盤をコレクションしているのかよりも、その思い出を語れることの方が何百倍のカッコイイと思うんだよね。
過去に3枚捕獲した記憶がある。
最初はユニオンさんで。
次はモルフォレコードさんで。
そして最後は、中国で。しかも場所は昆明だよ。
そんな俺の旅行記を彷彿させる1曲。
このまえ、YoshifumiさんとAライさんと一緒にランチに行ったときにこの話になったわけだが、そこでもやっぱり「いわく」について語ったよ。
俺はそういう付加価値こそが、この時代を彩るオリジナリティになるんじゃないかなと確信しているんだよね。
だから、もちろん、盤的な資産価値というものも大事だけれど、それ以上に、どういう経緯でその盤をGetしたのかをこれからはより重要視することが大事だと思うんだよ。
曲一つとっても、狂ったマニア曲に辿りつくのに至った道が、先輩に教えてもらったってのもありだと思うし、自分でYoutubeをDigってたどり着いたってのもアリだと思うし、捨てようと思っていた段ボール箱から「なんだこれ?」と思って再発見したでもいいと思う。
そこに至る経緯、いわば自分史を自分の口で説明できることって、本当に価値があると思う。
長くなったけど、最後に俺がこう考えることを共感してくれるであろうジョブスの例を挙げて書いておくね。
ジョブスは
「Ihoneにカバーをつけているヤツはダサい」
と言い切った有名な話があるんだ。
その時に言ったのは、
「僕は、擦り傷のついたステンレスを美しいと思うけどね。僕たちだって似たようなもんだろう?僕は来年には五十歳だ。傷だらけの iPod と同じだよ」
俺らも生きているんだからこそ、いろんな経験をするわけで、それが苦い思い出の場合もあるし、素敵な思い出になる場合もある。
全部が綺麗事だけじゃ、味が無い人間になってしまうわけですよね。
だから、それって拡大解釈すれば、レコードコレクションについても同様の事が言えると思うんだ。
カス盤でも、ブートでもしくじった(要は欲しい盤じゃなかった)場合ですら、そういうコレクションもまた語れることで、自分のコレクションに深みがでるものなんだと思うと、そういうカス盤や何の変哲もない曲が、それこそが、自分のコレクションのかなめになる気すらしてくると思う。
それは、どうしても欲しくてほしくて無理しちゃった的な思い入れのある高い盤でもいいと思うし、捨てようと思うレベルのカス盤を聴いてみたらすげーいい曲だったと再発見してしまった100円盤でもいいと思うんだ。
その気付きが自分の人生を豊かにするんだということを是非、今日は知ってもらいたいな~と思ったので、つい書いてみました。
今日正解だったことが明日も正解だとは限らないし、そもそも正解が存在しない可能性もあるというのが人生です。
明日も頑張ろう!
おやすみなさい。
R&B好きは必見のまとめサイト
*詳細はこちら↑から♪
*スポンサード リンク*
This post is not in English now.
Because It’s too long to translate all this sentence.
Maybe,I would write this post someday…
please wait for that day!
Keep Diggin’ 365 Days
Regards,
djlotman