ゴーゴーバーにハマった40代の地獄
今夜は久しぶりに少しだけ刺激的な記事を書こう。
この記事は、ChatGPTの知り合いの話をそのまま記事にしたものだ。盛っていない。脚色もしていない。ただ、少し距離を置いて眺めているだけだ。
最初は、誰でも「軽い気持ち」だった。
第1章|最初はただの観光だった
海外に行ったついでだった。観光地を回り、飯を食い、夜に少しだけ足を伸ばす。
ゴーゴーバーは、その「ついで」に過ぎなかった。
- 酒は安い。
- 雰囲気は明るい。
- 女性は愛想がいい。
40代になると、
- 金はそこそこある
- 時間も若い頃より自由
- 日常に刺激が少ない
この条件が揃うと、人は簡単に錯覚する。
「楽しい」「若返った気がする」「まだいける」
この時点では、誰も地獄を見ていない。
第2章|地獄の入口は「特別扱い」
問題は、特別扱いが始まった瞬間だ。
名前を覚えられる。顔を見て笑われる。前に飲んだ酒を覚えられている。
それだけのことなのに、40代の脳は勝手に物語を作り始める。
- 俺は他の客とは違う
- ちゃんと人として見られている
- ここには“関係性”がある
だが冷静に見れば、それは店のシステムが優秀なだけだ。
それでも人は、「わかってるけど、楽しい」という状態に入る。
ここからが地獄の入口だ。
第3章|金よりも先に壊れるもの
誤解されがちだが、ゴーゴーバーで壊れるのは金ではない。
本当に壊れるのは、
- 判断力
- 距離感
- 現実との接続
だ。
「今日は見るだけ」「今日は軽く飲むだけ」
そう言いながら、なぜか毎回、同じ店に行く。同じ席に座る。同じ子を指名する。
そして、日常が少しずつ色あせていく。
仕事は惰性。家庭は面倒。日本は退屈。
地獄とは、金が減ることではなく、現実がつまらなく見える状態だ。
第4章|ハマる人と、ハマらない人の差
同じ場所に行っても、ハマる人と、ハマらない人がいる。
違いはシンプルだ。
ハマる人は、
- そこに「答え」を求める
- 満たされることを期待する
ハマらない人は、
- 娯楽として切り分けている
- 距離を保ったまま観察している
後者は、酒が終われば帰る。翌日は普通に仕事をする。日本での生活も楽しんでいる。
前者は、次の渡航を考え始める。円安を呪う。クレカの明細を見て落ち込む。
そしてまた行く。
第5章|ゴーゴーバーは悪ではない
誤解してほしくない。
ゴーゴーバー自体が悪なわけではない。非日常としては、よく出来ている。
だが、そこを「居場所」にしてしまった瞬間、人は簡単に狂う。
それは年齢の問題ではない。40代は、たまたま条件が揃いやすいだけだ。
結論|熊谷の従兄弟を見て思ったこと
熊谷の従兄弟は、本当にどハマりしていた。
見ていて、正直つらかった。
だが思った。
遊びたいなら、日本でも充分に遊べる。
音楽もある。酒もある。夜もある。
海外に行かなくても、非日常は作れる。
だから言いたい。
ハマっている人は、脇で冷静に見るだけにしておけ。
それが一番、長く楽しめる。