自分のわがままに向き合うのもまた転落していく中高年


こんばんわ。
先日、時間を間違えてしまい、記事が前後してしまいました。

*参考*
DJとして出るべきイベントについて考える
DJがイベントに参加する最適なペースは月何回が理想か

お嬢さんからの質問に対するアンサーという話で書きましたが、まさかのミスとなりました。

どちらもかなり反応が良い記事だっただけに、手直しをしておきたいと思います。

さて、こういう話を一生懸命考えていると、ある日、いろいろなことを犠牲にしているなと感じる日もあります。
例えば、クソ野郎は嫌いだが、そのクソの取り巻きは別にどうでもいいという感じになっていくという話です。

俺以外でもそういうことはあると思いますが、今夜はそんな「中高年のわがまま」について考えていきたいと思います。


そう、今夜もクソ記事ですので、まともな方は、お戻りください。

*スポンサード リンク*


自分のわがままに向き合うのもまた転落していく中高年


人生には無駄が無いといいますが、実際にあるのは無駄だらけな気がします。
それでも、今、今後について考えている俺からすると反省点を洗い出す時間にもなっている気がするので、本当に無駄かどうかの精査も必要かなと思い、今の考えを書いておきたいわけです。

ということで、今夜も、どこかで、LOTMAN!

今Happyかどうかで決めたい



人生は集約すると、「今」がすべてだと思う。
将来こうなりたい、こうしたいというのも当然あるが、これまで多くの犠牲を払ってきた(と思われる)俺からしたら、「今」というのは重要だ。

しかしながら、やっぱり、「将来」について、これからについて考えておく必要はある。
将来は今の連続というのだけれど、それはただ単にプロットでしかない。

必要なのは、ラインだと思う。
なので、クソ野郎が目に入るような状況は非常に気分が悪くなるので、それに付随する人間関係もバッサリ切ってしまう方がいいと俺は思っている。

同様の話を書いておこう。
最近、読者層に、中高生が増えているようなので、学校生活というクソ文化について少しだけ書いておくが、学校生活は日本にいる限り、一生続く。

小学生=>中学生=>高校生=>大学生=>社会人=>地域ボランティア(町内会のようなもの)

なので、学校が嫌いな人はできるだけ早く自分の人生について考えておかないと、一生苦しむことになるか、まったく気が付かないまま人生を過ごすことになるので、瞑想しておこう。

すっきりしたところで、俺の話を書いておきます。

自分のやりたいことしかやりたくない


「毎日プラプラして、肉を食べて、酒を飲んで生きていたい」

そう思ったのは30歳の誕生日でした。
この話を今、書くにはリスクが高いのだけれど、恐らく、人生で一番HAPPYだった気もする日だったかもしれない。

その少し前から怠惰な人生にシフトチェンジした。

20代にめちゃくちゃ仕事と勉強人間だった俺は、金を稼ぐこと以外、人生に面白みはないと思っていたのだが、家を追い出された俺は、自分の人生について再考することになった。

このあたりは何度かロトレコ誕生話で書いている話だが、実際、毎日プラプラしていて毎日飲んだくれていた。

その習慣がいまだに抜けない。

2018年10月にサラリーマンとして転職し、運良く、社歴10年以上の社畜リーマン同様の給料を得ることができ、資格試験の受験資格(テストを受けるのに実務経験等が必要になるため)も得て、無事に1年間勉強と仕事を頑張った。

ここまでは良い話なんだが、実際問題、俺はまたサラリーマン人生から逃げてしまった。
その理由は、思っていた以上に、自分の時間が取れなかったという話でもある。

月金は仕事で朝7時に起き7時50分の電車に乗り、9時に出社し18時まで働き、周りの人の顔色を見ながら1時間の残業をする。

20時に帰宅し、飯風呂をこなし、21時からぼけーっとする。
このぼけーっとする時間が自分をリセットする時間になる。
23時には寝ないとストレスにすらなる。

土曜日はロトレコの発送と更新をし、翌日の塾に備えて少なくとも8時間は勉強しないといけない。
日曜日は朝9時から塾が始まり19時に終わる。
そこから復習を少なくとも3時間はしないと定着しない。

このような1年間を過ごし、1次試験、2次試験とも90点以上を獲得することができた。
*ただし2次試験の結果は塾側の採点予想

この1年、毎日が苦痛だった。
確かに、給料は良いし、仕事内容もバイトみたいな感じだったけど、確実に、「人生イコール仕事」という方程式が成立していて、方程式自体を見ると、完璧なまでの数式であり、美観性すら覚えるが、同時に、なんだかなという感情も沸いてしまう。

10年前に叫ばれた「ライフワークバランス」はどうした、おい、どうしたんだよ!

そんな感じだった。
なので、俺はもう一度、自分のやりたいことについて考えることにした。

そう、たとえ誰に何を言われても、「自分のやりたいことしかやりたくない」のだ。

当初、俺は「DJがしたい」と思っていたが、そこは可変区域であることに気が付いた。
なので、もっと深く、考えていかないといけないのかどうなのか、考えているのが今。

多少の苦痛はプライド維持に必要


残念ながら、俺は微妙な結果を多く残してきているが、突き抜けた結果というのは未だ残せていないのだが、これまで、そこそこの結果を数多く残しているので、努力や研鑽は嫌いではない。

周りにいる友人の多くは自分の立ち位置をしっかりキープしているような感じなので、俺自体は努力していないといまいちである錯覚を覚えてしまう。

社畜社会の弊害なんだろうけど、「頑張っている=目標達成」であると錯覚してしまう。
これは学校生活がこの錯覚を引き起こしているのだが、要は刷り込みなんだけども、一流企業にいるとえらいとかも同様の話で、この刷り込みから解放されるには、国外という別の価値観で生きないと難しい。

なので、日本にいる間は、どうしても、「努力」をしないと自分を維持させるのが大変だと思う。

こんなクソな話がベースにあるので、俺も日々、「何かに挑戦したいな」と中高年になった今でも思っている。

ここをどう構築するかで、将来が変わってくる気もするので、よく考えてみたいと思う。

よく、広告やTVで「これが(40歳が)最後のチャンスです!正しい選択をしてください」みたいなことを言われるけど、そんなことは子供のころから言われてきているし、60歳になっても成功する人やホームレスから大企業の社長になった人もいるし、宝くじが当たった人もいるし、もっと言えば、生まれつき金持ちの家に生まれている人も多いので、他人の言うことを信用してはいけないのだ。

この「努力」という考えすら、日本オリジナル(もしくは中国かもしれないが)なので、ストレスを減らすために、「DJを頑張る」というのは割と理にかなっている方向性なのだ。

なぜなら、日本ではお金を使わないと文句を言われ、貯金がないと信用されず、努力をしていないと光ってないねと言われ、努力すれば意識高いと影口を叩かれるのだ。

何も信用してはいけないのだ。
信ずるは己の信念のみ。

中高年になると無駄使いして得られる多幸感が著しく減少する


中高年になると、無駄使いをしたり、経験を買ったりしても、HAPPYだなと思うようなことがどんどん減ってくる。
それはこれまでの人生で、多くを経験しているからなようだ。

例えば、過去最高にうまいピザを食ったとしよう。
このうまいピザにはさまざまなバイアスがあるので、一義的にうまいを定義できていないにも関わらず、自分の中で、過去最高の評価を下している。

そのバイアスを吹き飛ばすくらいの衝撃がないと、次の過去最高は生まれない。

過去最高を積み重ねて、今がある。
そう簡単に過去最高、自分ギネスを更新することは難しいのだ。

なので、当たり前に、幸せだなと感じることが減るのだ。

これに対して、「不幸」とか「ストレス」というのは積みあがっていくものだ。

生きれば生きるほど、「不幸」になり、「ストレス過多」となる。
何と言う残念具合だろうか。

この問題は根が深いので、解決しないで放置することにするが、一つだけ、この不幸やストレスを払ってくれるものがあるとすると、「周囲の笑顔や厚意」だと思う。

自分のために何かしても、中高年になると大してHAPPYであると感じないが、他人が喜んでいるのを見ると自分までうれしくなる。
こういうことなのだろうと思う。

なので、俺もそう努力しているつもりだ。
逆もまたストレスがたまるので、不幸な人との関わるのは無駄であるのでばっさりいかせてもらっている。

中高年になっても人生は続く



中高生でこのブログを読んでいるというおませさんのためにも、少しだけ書いておくが、10代で感情のピークがくる。
20代で人生のピークがくる。
そして、どうにか日々をこなす30代がくる。

しかし、40代、50代・・・・と死ぬまで人生は続く。

今の時間間隔の半分以下で人生が進むようになる。
それに気が付いたとき、絶望する人も多いが、物理的な量は減っていないし、Happyかどうかすら変位量で定量的ではないのだ。

なので、安心するために、定量的な数値を維持するといい。

今の時代なら、それは「貯金」だったり、趣味で言えば「レコードの枚数」だったりする。

こういう数字で考えるというのは、結構重要で、過去記事でも書いたが、自分の現在位置やその方向性を探るためには必須である。

例えば、「だれだれと仲良くなる」みたいな曖昧な目標でもこれは有効で、「1週間に1回連絡する」とか恋愛漫画的な数字もそうだし、あざとい目標なら「1日1回スキンシップを取る」などで好感度を上げていくなんてのもある。

なので全てを定量化する必要はないが、目的意識を数値化するのはおすすめである。

ちなみに、俺は毎日通勤する会社への道を定量化している。
家から駅まで5分、その後3分、その後20分で王子、その後20分で永田町・・・など、これで自分が何時にどこにいるのかを感覚的に把握できるので、結構便利である。

どうようにルーティーンで使う道も数値化していて、何分でどこをたくさん作っておくことで、可処分時間を手に入れられるのだ。

つまり、「何分さぼれるか」が分かっているという話だ。

俺は配達のバイトをしていたことがあったが、その時は9時から配達開始して、可能な限りショートカットを利用し、14時には遅くとも17時までの発送分を終え、毎日他のことをしていたり、寝ていた。

社会人になっても、あと何分で何ができるのかを把握しておくのは非常事態においても有用なので、おすすめだ。

人生計画には終活は必修



「老害それは近いアンデッドである」
と某アニメで行っていたが、中高年から後期高齢者になると、考える力も弱くなるのか、昨晩近所のセブンに行く途中で、酔っぱらって足を引きずりながら缶酎ハイを飲んでいる爺さんがいた。

まさに、アンデッドかと思ったが、老後に酒を嗜む余裕があって、それもまた良い人生かと思った。

人間はいつか死ぬわけだし、その時の終活をどうするのかというのは、人生設計に記載しない人も多いが、俺は13歳の時に、「俺は砂漠で野垂れ死にだな」と確信して以来、考えるのをやめた。

なぜそう思ったのかは今となってはわからないが、そのビジョンが脳裏に焼き付いているので、きっとそうなるのだろう。

それがいつなのかはわからないが、それまで暇なのは事実。
その場所を見つけるまで、人生は続いてしまうので、ダッラダラと生きるしかないと思っている。

若い人の多くはきっとこの感覚が何かよくわからないかもしれないが、きっと年を取るというのは、よくわからないものだのだろう。

まさに、ゆでガエルなのだ。

この自分だけが取り残されていく感覚こそが、リアル。

第何十回目かの自分会議を開き、自分の将来を模索する。

これ自体はいい。

良い傾向だと言える。

が、しかし、それを実際にこなしていかないとそのプロット回収はできないのだ。

そして、また楽な方へ、夢の方へ、できもしないことへと意思が動いてしまう。

自分の人生で65歳まで働くのか、70歳まで働くのか、それとも40歳で見切りをつけてしまうのか、俺のように30歳で全てがどうでもよくなってしまうのか、それは人それぞれだと思うのだけれど、できることなら、やりたいことをやって、結果を出したいなと思うのが人間だろう。

昔の優秀な人の話というのは本になっている。
沢山あるが、ダメな人間の話というのはもってのほか少ない。

今、こんな本があったらいいなと思うのは、中国がイギリスの支配下になる直前に、アヘンが蔓延して、ダメになっていく、まさにラストエンペラーの時代の話で、そのアヘンを毎日吸っていて、娼館で寝泊まりしていた結果・・・みたいな人の話が読みたいな。

バンコクやスワイパー村などのクソエリアでの日本人の悪行というのはブログや本になっていて、胸糞悪くなるレベルの話ばっかり書いてあるが、結局、そういう極悪人どもは時代を逃げ切っている。

きっと、今の時代でも悪いやつらは逃げ切ってしまうのではないかと予想しているが、これから良い話が少ない日本で、努力とか我慢とか、俺が子供のころ積み上げてきたものが何の役に立つのかと思うレベルだ。

そんな暗い未来しかないのかと思うが、ここには今、酒がある。

それを飲んでしまえば、今夜もパーティーですな。

メキシコ人だかが、「家族がいて、音楽があれば、人生HAPPYだ」と言っていたと書かれていたが、人生には、少なくとも、「家族」と「音楽」が必要だ。

「家族」と「音楽」を提供できるのは、DJに他ならない。

なので、このままクソライフを満喫しながら、どこかでバイト等で生計を立てつつ、DJを軸とした人生にシフトチェンジしたほうがいいんじゃないかと思うくらいだ。

だが、人付き合いが苦手な、いや、苦手になってしまったのだろう、俺はもともと、暗いわけじゃなかったはずだが、気が付いたら、陰のある人間になっていたのかもしれないな。

明るい人をみならって、俺も笑顔でいれるような人間になりたいと思う。

そんなことを考えられただけでも、この記事は自分にとっていい記事だと思ったな。

自分のわがままに向き合うのもまた転落していく中高年・まとめ



存外、長くなってしまったが、自分の人生について、自分の生き方について、話をする人や機会というのはほとんどない。
他人の生き方を見て、影響を受けられる環境にいる人は幸せかもしれないし、不幸かもしれない。

俺は気が付いたら、破滅の相みたいな感じになってしまっているので、軌道修正をしたいと思いつつ、修復不可能だなと痛感しているが、やりたいことをやるために今を生きるしかないのかもしれないなと。

そんなことを考えた秋の永夜でした。

くりかえすが、人生に必要なのは、「お金」や「地位」だけじゃなく、最低限、「家族」と「音楽」だ。

そして、それを楽しむ、「時間」と「心の余裕」だな。

「一緒に居てくれる友人」もいたら、超HAPPYって話。

忘れがちだけど、やっぱり、これらをとりまく、DJって素晴らしいね。

というわけですので、おやすみなさい。
ばいびー。

*アナタを寝かせない夜のLotRecordsはこちらから
http://www.lotrecord.com/

*このブログは隔日22時22分前後に更新予定です。
たまにミスりますが、ご容赦下さい。

Lotman TVはこちらから!

*スポンサード リンク*